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『コ・ミ・・・ニョ・・・』
廊下ですれ違った女達が、懲りずにしているミニョの噂話にまたかと軽い溜息を零して戻ったスタジオの空気は、想像以上に険悪な雰囲気を醸し出していた。ステージとして用意された半円形の段差の前で、立っている女の頬に手を添えたシヌが優しく微笑みながら冷たすぎるくらい笑っていない目をしているのを見つけて、一瞬で背筋を冷たく流れるものがあった。息を呑むのも憚られるくらい張詰めた空気の中で、何があったと周りを見渡せば、誰も彼もがシヌと女の方へ向き、遠巻きに丁度こちらを向いたジェルミと目が合ったが、俺を見止めたジェルミは困った様に唇を噛みしめ、泣きそうな顔で、俺に来るなと謂わんばかりに激しく首を振った。そして、張詰めた中でも更に遠巻きのザワめいた空気が、壁際の一点へと促す様に動き、そちらを見ればミニョが膝を抱えて蹲っているのが見えた。
『コ・ミニョ!』
蹲った様子にどこか痛むのか、それとも怪我かと慌てた俺は、傍らに駆け寄り、肩に触れれば、顔をあげた瞳に大粒の涙を宿し、俺の顔を見た途端、ヒクリと引き攣らせた喉で俺の名を象(かたど)った唇が動いて崩れる様に凭れかかってきた。
『な・・・にが・・・』
何があったとミニョに聞いても答えが導かれるものでは無いだろうと思ったが、力なく崩れるミニョの身体を抱き留めながら、後ろを振り返れば、シヌが侃々(かんかん)と怒鳴っていた。
『どういうつもりか知らないがっ誹謗中傷だろう!それなりの処置を取らせてもらうッ!!!』
『そのままを聞いただけですッ!違うと言うなら否定をすれば良いことだわッ!!』
シヌの前に立つ女は、強気な口調で言い返し、確か新人の名前等知らないが、アイドル歌手としてデビューをすると紹介された女で、まだ年若く学生だと聞いていた。
『離してくださいっ!!!何も私が言ってる訳じゃないわ!!世間話として聞いただけですっ!!』
『それでも君の言った事は、名誉を傷つけている』
『そんなつもりっ無いわ!!』
『・・・・・・無くてもそうなるということを君は知った方が良いよ・・・少なくとも事務所を通じて抗議をさせてもらうっ・・・・・・・・・』
怒りを人前で晒すなど余程珍しいシヌの姿にもしかしてと思いながら、よろめき立ち上がろうとするミニョを支えて、そちらを見れば、女の事務所の関係者らしき男がシヌに何度も頭を下げていた。張詰めていた空気が、シヌがこちらを向くのと同時に少しだけ柔らかく溶けて、見守っていたジェルミが、踵を返したシヌより先に近づいてきた。
『ミ・・・ミニョぉ・・・だ、大丈夫ぅ!?』
『・・・・・・あ、は、はい・・・ぇえっと・・・少し・・・驚きましたけど・・・・大丈夫・・・っです』
あははと笑おうとして笑えないミニョの顔が蒼ざめて、ピンクに塗った化粧をも白く見せるほど色の無い頬からは表情も消えていた。大丈夫という口から出た言葉に嘘も無いだろうが、動揺を隠しているのが見て取れた。
『ミニョ!今日は終わりにするから、帰って良いよ・・・後は俺達でどうとでもなるから』
『あ・・・はっ、はい・・・あ、ありがとう・・・ござ・・・います・・・』
ジェルミの肩を掴んで間に入ってきたシヌが俺を見ながら連れて帰れと目配せをしてきた。何があったのか事情を聞こうとした俺にあの話だからと耳元で囁いたシヌが小さな溜息を吐いて、その相貌に慌ててミニョを見れば、俺を見上げた瞳が揺れていた。
『・・・・・・ヒョ・・・オ・・・ッパ!?』
『・・・・・・・・・ッチ』
知らず零れた小さな舌打ちに俯いたミニョが、掴んでいた俺のシャツを力なく離し、俺からも離れようとした。しかし、肩を抱いていた俺は、ミニョの身体を引き戻しながらシヌに解ったと返事をして、真顔で頷いたシヌと心配そうな顔のジェルミの視線から逃げる様にすまないと思いながら、シヌに後を頼むと告げてスタジオを後にした。
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ミニョを連れて楽屋へ戻り、着替えをさせている間にシヌから事情が送信されてきたが、その内容を見ながら零れた大きな溜息は、丁度俺の前に現れたミニョの顔を更に曇らせていた。何でもないということはもう出来ないなと覚悟を決めた俺は、ミニョを指先で呼びこんだ。
『・・・・・・何から・・・・・・』
何から話そうかとミニョの腕を引いて抱き寄せ、その細い腰に腕を回せば、見上げた瞳は真っ直ぐに知っていたのかと聞いてきた。
『ああ・・・・・・俺は、お前みたいに間抜けじゃないからな』
『む・・・私だって違います!』
『どこが!?お前は間抜けだ!』
『ヒョンニム!』
ミニョを茶化しながら、どう話そうかと心を決めろと自分に言い聞かせていた。魔性の女というのは特段悪い表現として使われている訳ではないが、ミニョ自身がそう思われるのは、あまり良い気分で無いのはミナムに言われるまでもなく俺の方が気分を害していた。だからといって、勝手気ままに噂されることを一々拾い上げて否定をするのも、そんな事をすればこの仕事を続けるなんて到底無理で、ミニョをここにこの世界に引き入れたのが俺ならばそれを利用すれば良いと社長と決めていた。
『ヒョンは、知っていたのですか・・・その・・・わたし・・・』
『お前がシヌやジェルミも手玉に取ってる外見からは想像も出来ない魔性の女だって!?』
『そ・・・・・・・・・』
『それは一緒に買い物に出かけてたり、事務所が俺たちと同じなのと元々A.N.entertainmentは、男しか受け入れて来なかったり、ミナムの世話をする事を前提にされてはいるが、俺達と同じ空間で生活をしているお前へのやっかみだ』
『そ、そうかっもしれませんけどっ!!』
『だから・・・俺たちの宿舎の撮影も許可させただろう!お前の部屋も!厳重に鍵をかけて生活しているし、俺達と一緒で女の子に何かあったら困るから、かといって別に暮らせば良いといわれてもミナムの世話は大変だからと面白おかしく撮らせただろう・・・』
少しだけ嘘を混ぜた真実を説明しながら、心の中でミニョに謝っていた。本当は、社長は別にマンションを用意していたし、ミナムもミニョを連れて出ていくつもりだった。けれど、俺がそれらを全て画策して壊した。世間の噂の的になると言ったミナムの言葉が現実として雑誌に載せられた時に悩みもした。俺と恋人同士であることを公表していない事もあり、勝手気ままな噂話は今もネットで大きく取り上げられている。
『あ、あの曲・・・』
『ああ、それは・・・』
シヌが寄越した説明文の中に新曲の事を問われたのだとあった。新曲の話をしていて、ミニョにそのまま雑誌の事を話していたのだと書かれていた。目の前のミニョを見れば、涙目で、俺は思わずミニョの顔を引き寄せ肩に埋めさせていた。
『あ、れは、そういう意味じゃない!確かに恋の多い女の心境を書いたが・・・』
顔の見えないミニョが俺にしがみついて泣いていた。ヒクッとしゃくりあげた音に胸が痛んだが、これはちゃんと話そうと決めて、ミニョをそっと離した。
『お前のイメージ戦略は社長と俺で決めている・・・』
『・・・・・・・・・』
『前に出した歌のイメージは"純粋"だったんだ・・・同じイメージで曲を何本か書いたが、今回は、ギャップを狙ってコンセプトを変えた』
『・・・・・・・・・』
『お前は、俺のせいで歌手活動もしてるだろう・・・本当は、モデルとかそういう仕事はさせてもお前に俺と同じ様な事をさせるつもりはなかったんだ!俺と一緒にいるだけならマネージャーでも良いと思ってたし・・・』
『ヒョ・・・』
俺の顔もきっと情けなくなっていて、スッと伸びてきたミニョの指が俺の目元に触れた。触れた指先で零れない涙を掬ったミニョが、泣かないでと言って、俺の目尻に唇を寄せ、離れ、少しだけ笑って、首にぎゅっと腕を回してきた。
『お、おいっ・・・』
『すみません・・・泣いたのは・・・そういう意味じゃありません・・・えっと・・・その・・・・・・彼女に聞かれたのです・・・・・・・・・・・・彼女は、ファン・テギョンが好きだと言ってました・・・・・・・・・ヒョンの作った楽曲を歌ってるわたしは幸せだけど、そういうイメージで見られてるのねって笑われて・・・』
一気にまくし立て始めたミニョに口を挟む余裕もなく、泣きながら一生懸命話をしているミニョを抱きしめて頭を撫でていた。
『そんな事はないですって思わず言っちゃって、それでその・・・この前の撮影の話をされて・・・』
『・・・・・・・・・それでシヌが助けに入ったのか』
『・・・・・・はい・・・・・・・・・』
ふっと零れた笑いに俺の顔を見たミニョは、俯いてすみませんと謝ってきた。けれど本当にすまないのは俺の方で、ミニョについたイメージを払拭させる為にと請けた香水のCMが思わぬアクシデントを呼び、いつか廊下ですれ違った局のスタッフが話していたことを思い出しながら、お前は悪くないと口にした。それは、相手役のタレントに香水を零したミニョが慌てた拍子にコードを足を引っかけ、相手役も丁度タオルを取ろうと振り返って、運悪く二人で抱き合って床に転んだのだと後から聞いた。けれどその体勢がミニョが上に乗る形になってしまい噂を知っていた人々が話を大きくして楽しんでいるからと現場にいたマ・室長とコーディーヌナが俺に教えてくれていた。
『唄はお前の事を書いた訳じゃないし、お前が俺達と生活しているのもお前のせいじゃない』
そう、俺の独占欲の問題で、よく眠れるからだとあまり気乗りのしてないミナムに適当な言葉を並べて承諾をさせた。俺がミニョを抱かない保証はないよねと毒も吐かれたが、それを心苦しいと思うよりも一緒に居たいと思う気持ちが勝った。
『ヒョンニム!?苦しいのですか!?』
微かに震える声で俺の俯いた顔を覗き込むミニョに首を振っても心配性のお前の心は晴れないだろうなと思いながら、これは、俺が撒いた種で、真っ直ぐに健やかに育つ筈の花をほんの少しだけ艶やかに咲いてしまった見栄えに驚き、花を隠さなければと思った事が始まりだったなと自問自答すれば苦しくもあり可笑しくもあった。
『ヒョンニム!?』
『いや・・・違う・・・』
『ヒョン!?』
違う。何が違うのかという顔で俺を見るミニョにそうだな解らないなと心の中だけで答えた。声を出す代わりにこいつが好きであろう笑みを作ってやれば、あっさり陥落し、俯いたミニョは、俺の胸の上にある手をもじもじ動かして、照れてるのかと聞いてやれば、バッとあげた顔を赤く染めて俺を責める様に拳を胸に一つ当てた。
『うっ、痛いな』
『そんなに強く叩いてません!』
膨れた頬を染めながら、可愛い唇を突き出してそっぽを向いているからその唇を摘み大きな瞳を丸くしているミニョに触れるだけの軽いキスをして、帰ろうと帰りながら話をしようと手を繋いだが、バッと離したミニョは首を振っていた。
『だっ、駄目です!ここはまだ局の中です!ヒョンと手を繋いでたりしたら・・・』
離された手に多少不快な思いをして振り返ればそんなことを言うミニョに今更と思いながら、抱いて連れてきたのは良いのかと聞けば、呆けた顔が思案顔でやがて慌て始めどうしようとしがみついてきた。
『どうもこうも別にバレても構わない・・・お前は俺の恋人だし・・・大体バレてないと思っているのもどうかと思うぞ・・・正式発表をしていないだけで、俺は結構お前の事を恋人扱いしていると思ってたけど・・・』
『そっ、そ・・・そうなのですか!?』
そう、そうしてるつもりだった。なのにあんな噂が流れ、気がつけば結構大きな記事にされていた。ミナムの懸念と怒りに立ち会いながら、こんな事は俺も経験してきたし、ヘイの事だって似たようなものだったと思い返していた。アイドルのイメージなんて見る側が勝手に決めるもので、それにそぐわなければペンも離れていく。だからといって何もしなければそれは増々仕事に響き、だからこそイメージ戦略は大事でミニョの性格の問題もあるが、自分の事に無頓着すぎて、俺を星に例えるくせに自分も星になってる事に気が付いていない。
『そうだ!俺はお前を宝物みたいに扱ってると噂でも流れてくれれば俺も楽だなぁ』
『そっ、そんな事になったら、ヒョンのペンがいなくなってしまいます!それは嫌です!!』
『お前、俺を舐めすぎだ!むしろちゃんと祝福してくれるようなペンしかいるかっ!!』
『そっ、そんな事言っても解らないじゃないですかぁ』
すっかりいつもの調子を取り戻したミニョと手を繋ぎ直した俺は、ドアを開け、そこを丁度通りかかった女に笑われたのだった。
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『あら、少し楽になったみたい!?』
貴女は、と立ち止まった俺にミニョが不思議な顔で見上げながら嬉しそうに見たことあるが知り合いかと聞いてきた。
『知り合いというか・・・』
知り合いというほど顔を知ってる訳でも顔見知りというのも違っていた。この女と会ったのは後にも先にもたった一度、廊下ですれ違っただけだった。知っているといえばジェルミの話が気になって女の事を調べ、占い師であることを聞いていた程度だ。
『今評判の占い師さんです!ヒョンニム!お友達ですか!?』
嬉しそうなミニョの声を聞きながら何故この女にまた出会ったのかを考えていたのだった。